《香港の道》 巨頭Swireの庭 - 太古/Taikoo
MTRの駅にもなっているTaikoo/太古エリア。イオンやアピタがあり、日本人も多く住むエリアとしても有名です。この「太古」という名前、香港のスーパーで見る砂糖のパッケージに見覚えがある方も多いのではないでしょうか。
「太古」というのは今では場所の名前にもなっていますが、そもそも会社の名前です。そしてこの太古社の英語名が「Swire」です。
Jardin Matheson社と双璧をなし、イギリスによる植民地支配初期から現在に至るまで大きな存在感を持ち続けているコングロマリットがSwire社です。1816年にイギリス・リバプールでJohn Swire氏によって貿易会社として創業されました。1866年には上海に進出し貿易や海運などのビジネスを手掛け、1870年に香港への進出を果たしました。当時の海運業の主要輸送品目の一つだったのがフィリピンやジャワ島からのサトウキビでした。そこに目をつけたSwire社は、1884年に香港にて自社の製糖工場を建設しました。当時としては世界最大かつ最先端の製糖工場の一つでした。1972年に工場を閉鎖することになりますが、その工場跡地は「糖廠街/Tong Chong Street」と名付けられています。また「太古」の名前は砂糖のブランドとして現在でも広く認知されています。
製糖業と並び、Swire社の主要事業となったのが、船舶修繕・造船業です。海運を手掛ける同社にとって、信頼できる船舶修繕業社が必要不可欠であったことは、自社でのドックヤード建設を後押ししました。そしてついに1907年、香港最大のドックヤードが完成しました。周辺には従業員が利用できる施設が充実していて、当時最も前衛的な福利厚生を誇っていました。しかし船舶の大型化が進むに連れ、設備が次第に時代に合わなくなってくると、1972年の他社との合併に合わせドックヤードを閉鎖しました。新しいドックヤードは現在の葵涌/Kwai Chungに建設されることとなりました。閉鎖された広大なドックヤード跡地にできたのが、現在の太古/Taikooの街です。Swire社は、不動産会社を設立し、ドックヤード跡地に住宅、ショッピング施設、オフィスビル、公園等を次々と開発していきました。現在では当時の面影を残すものは太古城敷地内に設置されたTai Koo Dockの定礎石と、Shipyard Lane/船塢里という小さな通りの名前くらいですが、ビルの名前や通りの名前などの街の至る所に「太古」の名前を見てとることができ、この地にとって、太古/Swire社は切っても切れない関係であることがうかがえます。