《香港の道》トラムでGo! - 春映街/Chun Yeung Street、渣華道/Java Road、糖水街/Tung Shui Road
香港名物のトラムと市民の台所のローカル市場。「春映街/Chun Yeung Street」にはこの二つが同時に広がり独特な景観を楽しむことができます。春映街の端には「糖水街/Tung Shui Road」、春映街の一本隣には「渣華道/Java Road」という道があります。
「春秧街」という道の名前は、この地域を開発した「郭春秧」氏に由来しています。又の名を 郭禎祥 ともいいます。中国福建省出身です。彼は早くに父親を亡くしましたが、1877年、インドネシアで事業をしていた伯父のサポートのもと16歳(17歳・18歳とも)の時にインドネシア・ジャワへ渡り、砂糖工場で製糖技術や貿易を勉強しました。経営を任されるようになると郭春秧は次第にビジネスを拡大し、後に「ジャワ四大砂糖商人」の一人と称されるまでになりました。
その後台湾でお茶の事業、故郷の福建で、製糖事業の他、農業、貿易、小学校、橋の建設や、薬の事業を行い、アモイの鼓浪嶼の開発にも携わりました。
香港に於いては、1921年にNorth Point/北角の発電所(現在の城市花園)の跡地を落札し、新たな製糖工場の建設に着手しました。しかし、1925年に広州や香港で大規模に行われたストライキ「省港大罷工」による工場建設工事の遅延や、止まらない砂糖の価格下落により、郭春秧は土地を不動産業に転用するという苦渋の決断を下しました。後年、中国大陸から多くの移民が香港に来ましたが、この土地には郭春秧の故郷である福建省からの移民が多く移住しました。
香港での製糖工場建設こそ叶いませんでしたが、郭春秧の貢献を表すように、この土地の道に、彼の名を冠した「春映街」、彼の砂糖の原産地でもあるジャワ(Jawa)を冠した「渣華道/Java Road」、砂糖工場が確かに建設されようとしていたことを示唆する「糖水街/Tung Shui Road」という名前が付けられました。
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