《香港の道》怪物ジャーディンの足跡 - Yee Wo Street, Jardine's Bazaar, Jardine's Crescent, Matheson Street / 怡和街、渣甸街、渣甸坊、怡和街、勿地臣街
香港有数の繁華街 Causeway Bay/銅鑼灣。世界一地価が高い場所としても有名です。現在では一般的に、SOGOを中心として東はVictoria Park辺りまでをCauseway Bayエリアと呼ぶことが多いですが、その中心地を横切る大動脈は場所によって、Hennessy Road/軒尼詩道、Yee Wo Street/怡和街、Causeway Road/高士威道 と名付けられています。
Hennessy Roadの名は1877年から1882年まで第8代香港総督を務めたJohn Pope Hennessy氏に由来しています。Causeway Roadはその名が示す通り、昔は海に面したcauseway(あぜ道、土手道)であったことに由来しています。一風変っているのがYee Wo Street/怡和街。実はこの道は巨大コングロマリット企業であるJardin Matheson社に由来しています。
Jardin Matheson社は1832年にScots William Jardine氏とJames Matheson氏によって中国の広東で設立されました。東インド会社をルーツに持ち、当時はお茶の貿易を行っていました。その後、拠点を香港に移し、1841年に行われた最初の入札で、当時East Point/東角 と呼ばれていた現在のCauseway Bayエリアを落札しました。当初会社の中国語名は、Jardinの広東語発音に近い「渣甸」としていましたが、この頃、当時西洋でもその繁栄を轟かせていた中国のある商人団の通称であった「怡和」へと変更をしました。「怡和」とは「幸福の調和がとれた状態」という意味です。その後も同社は、貿易、銀行、保険、鉄道、紡績、製糖、物流、食品などの幅広い事業を手掛け、香港の大きな礎を築き、現在でも世界中へその名を轟かせています。
Yee Wo Street/怡和街 以外にも、Causeway Bayエリアには、Jardine's Bazaar/渣甸街、Jardine's Crescent/渣甸坊、Matheson Street/勿地臣街 といった道があり、かつてJardin Matheson社がこの土地を支配していたことを物語っています。